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ライム病に感染しているとしか思えない

直感的に「そうだ、あのときのダニが原因で、ハナはライム病に感染したのだ!」と気がついた。なぜなら、ライム病は発症までの潜伏期間が7〜10日間で、この犬の状態と一致する。私はすぐにハナを近所にある動物総合病院に連れて行った。アメリカの動物に対する思い入れは相当なもので、ペットは自分の家族の一員という位置づけがされている。そうした背景のせいか、この動物病院には内科、外科はもちろんのこと、整形外科、産婦人科、眼科、など各科が揃っていて、人間の総合病院さながらの様相を呈していた。ハナは白人の女性獣医の担当となった。「先生、この犬は昨日あたりから調子が悪くなってあまり動きません。食欲もないし、歩いてもふらふらしているんです。先日ロングアイランドでダニがついたから、もしかしたらライム病ではないでしょうか?」と単刀直入に尋ねてみた。すると担当医は「犬を歩かせてみてください」といった。「どうせ歩けるはずがないのに」と内心思いながら立たせてみると、なんとハナは元気に歩き出して、しっぽまで振っているではないか。私は驚いて「どうして、さっきまでぐったりしてたのに、突然歩きだすんだよ!」と声をかけてみた。担当医は「ライム病ではなさそうですね。もしそうだとしたら、こんなに元気に歩けません」。私は耳を疑った。多分、ハナは特殊な環境に連れて来られて興奮したのか、渾身の力を振り絞って元気な振りをしたのだろう。担当医は「多分、変な物を食べたか、高いところから落ちたか何か別の原因があるかもしれませんから、それらを先に調べましょう」といったが、それでもライム病に感染しているとしか思えない。が、とりあえずは担当医の言うことを聞くことにした。ハナはレントゲン写真をとられたり、血液検査など、ありとあらゆる検査をされたが、何も原因らしいものは見当たらなかった。検査から帰ってくるころにはハナはぐったりとして、私はまるで自分の娘が病に伏しているようで、目頭が熱くなった。担当医は首をかしげて「原因がはっきりしませんね。やはり、あなたのおっしやる通り、ライム病かもしれません。ではライム病に効く抗生物質を処方致しましょう」といった。私は内心、「だったら、いろいろな検査をせずに最初からそうしてくれれば良かったのに」と不満だった。なぜなら、これらの検査費用は5万円以上かかり、当時薄給で大学院生活を行っていた私の生活費の半分近くに相当したからだ。しかし、この若い女性獣医さんも、いま思うと病院での売り上げを考慮し、できるだけコストパフォーマンスを上げるために、真っ先に検査をしたのだろう。家路についてこの犬にミノマイシンという抗生物質を飲ませたところ、数時問後にはあっという問に元気が回復し始め、翌日はすっかり元通り元気になった。結局、原因はライム病ということだった。「もし、よろしければ、先生自身が執刀しますか?」ニューヨークでの留学生活を終え、帰国すると犬の面倒を見るのが大変になった。臨床医としての勤務が始まり、札幌の親元に犬を預けることが多くなったが、結局は自分が飼うと決めたことなので、また一緒に連れ帰ることになり、再びハナのいる生活が始まった。研修医生活にも慣れてきたころ、海が大好きな私は趣味で水上バイクを始めた。せっかく海辺に暮らしているのだから、こんなチャンスはないと思って、週末は必ず海へ出かけた。携帯電話は防水パックの中に入れ、海の上でも持参する必要があった。あるときは海の上で、病院から骨折の急患が入ったとの連絡を受けとんぼ返りとなったこともあった。そんな生活をしながら、ある風の強い日に犬を連れて水上バイクに出かけた。いつもの海岸に到着するやいなや、ハナは外に出たくてはしゃぎだした。「わかった、わかった、いま出してやるから。もう少し待ちなさい!」あまりにも騒ぐから、運転席に腰掛けたまま、犬が外に出られるようにと助手席のドアを押し開いた。その瞬間、ハナは車から飛び出そうとしたが、助手席のドアは強い海風に押し戻された。。キャインという大きな悲鳴を聞いた瞬間、「あ、ヤバい!」と私は動揺した。犬の足がドアに挟まれてしまった。それからというもの、ハナは微動だにせず、ただただ震え続けていた。骨折の可能性があると思い、自分の病院に連れて行き、休日だったが、レントゲン技師に頼み込んでハナの足のレントゲン写真を撮影すると、ものの見事に前足が折れている。人間の場合、こうした骨折は手術をして、鉄製ピンを埋め込んで支えを作ってあげなければ骨はつかない。とりあえず近所の動物病院に連れて行くと、獣医師は「このような手術の治療経験はないし、骨折を治療する道具さえもここには用意されていません」という。私は「それほど難しい手術ではありませんし、たいした道具も必要ではありません」というと、獣医師は「もし、よろしければ、先生白身が整形外科医ですから、執刀しますか?」というので手術のために必要な全身麻酔をお願いした。手術の道具は鉄製ピンとそれを骨に埋め込むために使う簡易ドリルを自分の病院から借りた。自分の娘のように思えた犬にいざ手術をするとなると、メスを入れるのはさすがにためらったが、やらなければ治らない。一呼吸おいてからハナの前足に5mほどの切開を加えた。瞬間、一気にいつも手術のときに感じる集中力が沸き起こってきた。小さな骨片がハナの足からこぼれ落ちてきたときは、さすがに「はっと」したが、この程度の骨片は通常無視していい。無事手術は終了し、ギプスを巻き終えるころ、ハナは大きなあくびをして目を覚ました。犬のギプスはなぜか黄色をしているが、ハナの細い足先から付け根まで巻かれた姿は、足にバナナをつけたようで、妙に可愛らしかった。それから一ヶ月間のギプス固定を終えて、ハナは見事に回復し、普段通り元気に走り回れるようになった。ハナはそれから数年後、彼女が7歳のときに突然発症した消化器の問題で他界してしまった。仕事の関係で私は不在中で、どうすることもできなかった。それからさらに6年の歳月が流れたが、外科医として愛犬の治療にかかわったことは特別な思い出として心に刻まれている。